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公益社団法人
全国宅地擁壁技術協会
〒101-0044
東京都千代田区鍛冶町1丁目6番16号
神田渡辺ビル7階
TEL.03-5294-1481
FAX.03-5294-1483
 

擁壁の話 =プリミティブから現代へ=

   
 
 
 
建設省建築研究所第四研究部
               住宅設計研究室長
                        二木 幹夫
   
 擁壁は、自然斜面や、盛土等の人工斜面を覆い、人々の生活空間のもとをなす地盤を安全に保持し快適な生活環境を創造するために設置される土留め構造物です。現在使用されている擁壁には、重力式擁壁、半重力式擁壁、方持ち梁式、ブロック積み擁壁などがあり、製品としては多種多様な擁壁が使用されています。 
 擁壁がいつごろ出現したかについては定説はないようですが、世界各地で石を用いた土留めの遺構が発見されているので、人々が定住して生活を初めた頃から、土地の使い勝手や安定性の観点から、 小規模な土留めを行なって来たことが想像されます。我が国に於いては、3~4世紀ごろから始まったとされる巨大な墳墓の造営に伴って、大規模な土地造成が行なわれています。初期の頃の墳墓は、地形をうまく利用した形態のものが多く、その後、平地に大規模に盛土を行なって巨大な前方後円墳等の造営を行なっています。しかし、この時の造営には擁壁は用いられていないようであり、法を形成して築造しているうえ、勾配はほぼ1:2のものが多いと言われています。また、盛土の施行には、炭や小石を混ぜて適当に地盤改良を行なっていたことも確認されており、千数百年を経た今も健全な盛土を維持しています。この頃、石を積んで土留めを行なった例としては、6世紀以降の横穴式石室をもつ古墳の出現があります。横穴式石室は厳密には土留め擁壁ではなく地下壁であり、構造を安定化させるメカニズムも若干異なっていると考えられますが、石は、しっかりと積まれており、また、石棺や天井石などの巨石の運搬技術もこのころにはすでにあったことが指摘されています。これまでに確認されている最大の石室は、全長26.2m、玄室の長さ5.4m、幅4.5m、高さは4.5mもあります。(奈良県見瀬丸山古墳)。また、石室の高さだけでは、6mに達する古墳もみつかっており、壁面が割石積みになっていることが知られています。(和歌山県岩橋千塚古墳)。 
 古墳時代が終了し、7世紀になると、大規模な土地造成は古墳の建設から、 都の築造や寺院、宮殿の建設に移行して行くことになります。 このころの石積みの技術は、寺院などの基礎地盤の築造、 水路(運搬路、排水路)、暗渠などの遺構に認められており、 自然石を工夫して使用しています。 石垣が使用される場所としては、城郭の石垣(城壁)が良く知られていますが、 我が国において本格的な城郭が構築されたのは、7世紀の末頃と言われており、 その形状は、朝鮮式の山城に良くにていと言われます。 前述した石棺などと共通して、大陸文化とは無縁ではなさそうです。 
 その後、中世の中頃までは目立った石垣技術の進展は見いだせないが、鎌倉時代に蒙古襲来に備えるために博多湾に築造された石累等の記録があります。また、絵巻物などの歴史資料に描かれた中に、参道、護岸、堀などの石垣の様子をうかがい知ることができます。しかし、この時代の土木技術に関する細部については、未だ歴史上の研究が進んでいない点もあるようです。この間、後の近代石積み築造技術にとって重要な、石の加工技術を発展させる道具となった、「たがね」や「げんのう」などが使用されるようになっています。
 
 16世紀~17世紀初めにかけて、我が国では戦国大名の台頭と新しい都市作りのため、各地でたくさんの城郭の修築が行なわれましたが、 案外これらの建築工事に関する史料は少ないようですが、江戸城などいくつかの城の普請の経緯が、使用された道具、資材、数量などとともに現存しており、城壁築造の様子を知ることができます。この時代の石積みに大きな功績を残している石工に穴太衆の集団が著名です。元々、穴太衆は、寺院の五輪塔や石臼を生産していたそうですが、安土、桃山時代に織田信長の要請によって次第に城郭の築造に専念するようになり、 江戸時代には全国各地の大名に専門集団として召し抱えられています。 城壁の築造のために集積された石材の中から、全体のバランスを考えながら、自由に積み上げていく穴太式築造技術で作られた城壁が、現存する多くの城郭に見られます。この積み方は、野面積みと言われ、安定感があり、荒々しく男性的であることで良く知られています。この自由な築造技法に対し、この時代になると、使用する石材がある程度規格化され、石材の調達も計画的に行なわれるようになってきてもいたようです。そして、反りを持ったあの美しい城壁の曲線が、規格化された手法により完成されていったようですが、全体としては、建設の数は多くありません(法式と呼ばれ、加藤清正が完成させたという説もある)。
 
 時折、地方の城郭を修復したり、積み直したりする工事が行なわれることがあり、著者もその一現場を見学する機会がありました。現在では、クレーン等の大型の重機を使用して簡単に巨石の運搬や据付を行なってはいますが、場所を考えながら石を選定し、経験をもとに自然石を据え、昔ながらの野面積みでの復元でした(写真-1)。また、写真-2は、以前に著者が、ペルーのマチュピチュ遺跡を訪れたときの石積み擁壁です。写真の石積みは粗雑に積んだものですが、神殿付近の石積みは、精確に面取りされ、石と石が隙間なく積まれているのをみると、そのときの人々の気持ちが伝わってくるようにも感じられます(写真ー3)。石の加工技術には世界中で共通するところも多いが、インカ文明の石の加工技術には不明な点も多いそうです。つい最近まで、莫大な労力と費用を要し、また、特権階級の独占技術であった擁壁技術も、今では、コンクリートの発見や大型機械の開発により、身近で一般的な技術として盛んに利用され、大規模な土地造成での重要な一分野となっています。技術の発達とは、特殊技術の一般化なのかもしれませんが、その発達の中で素材や工法をかえ、当初のものとは全く異なった形態を呈することも少なくありません。コンクリートの擁壁よりも石積み擁壁に何か自然との調和や親しみを感じるのは単に素材のせいなのか判らないが、宅地の擁壁は生活空間の一部であり、機能だけを追求する技術の発展には失われていくものがあることも事実のように思われます。
 
 
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